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zoom RSS 北京 東交民巷(正義路から東側) 壱 散歩おばさんの妄想編

<<   作成日時 : 2009/04/11 11:12   >>

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かささぎのガイドブックの東交民巷のページにこう書いてある。
「這附近的很多老使館目前被一些“大単位”使用,有些単位在門口和牆外設武警站崗,見到拿相機的就会趕走,要拍的話動作要快,被発現后不要頂撞,收起后儘快離開,有些雖然可以拍照,但要進院内得想辦法説服値班人員。」
意味:「東交民巷の大使館旧址は『大きな機関』に多く使われており、その入り口には武装警察が立っている。カメラを抱えた人間を見つけると追い払いにかかるので、写真を撮るなら素早く。もし見つかってしまったら逆らうな。カメラをしまってすぐその場を離れよ。写真を撮ってもいいところも有るが、中に入るためにはうまく係を納得させる必要がある。」だって。

天安門に戒厳令が敷かれていた頃。先輩から「東交民巷には行っちゃだめよ。何かあったら大変よ」と釘を刺された。結局一度も足を運んだ事がなかった。

東交民巷。崇文門地下鉄側から西に歩く。
(失敗も正直に書きます。長いところはご勘弁ください)

最初に見えたのは聖弥厄爾教会。東交民巷甲13号。台基廠大街との交差点北東角。1995年北京市文物保護単位指定。
1901年フランス伝道師が創立。南向き。欧州ゴチック式を模した。建材はレンガと木材。灰色レンガを使った「清水牆(表面に漆喰を塗らない方法)」の造り。3つのとがった鐘楼、とがったアーチ、壁柱、フランス製ステンドグラス、壁龕で装飾されている。建物は30本の円柱で支えられている。
もともとフランス領事館の土地であったが、1901年北京議定書締結後この地の欧州人が増加、教会が必要になりこの地に建てられた。1958年制限を受けて閉鎖となり台基場小学の講堂に使われたが、そのときにステンドグラスが破壊されている。1986年に学校は移転、1989年に再開された。

かささぎ開いている門から勝手に入って写真を撮っていると、お兄さんが出てきたので建物中に入れてもらった。白いスモックのような服を着た信徒の方々がミサをしていた。お祈りの言葉は節のある歌のようになっており、中国のお寺で聞くお経の歌のような、ご詠歌のようなものだった。
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原比利時使館旧址(旧ベルギー大使館旧址)。崇文門西大街9号。聖弥厄爾教会の対面。紫金賓館(ホテルではなく会社事務所が入っている)の敷地内。2001年全国重点文物保護単位。
1866年建造。今は5棟現存。20世紀初頭欧米で流行った折衷主義の建築。主楼は地上3階、地下1階。壁はレンガで3つの段がはいる装飾。英国チューダー式。主楼前に池がある。田舎風の4棟の建物は主楼前両側に対称して配置されている。
敷地の正門は崇文門西大街に面している。正門は警備員がいてすこし厳しいが話を聞いてくれる。主楼は裏門(教会側)のほうが良く見える。裏門のおじさんは普通の人で少しぐらいは入れてくれる。
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法国兵営旧址(フランス兵営旧址)。台基廠三条3号。道路の北側。2001年全国重点文物保護単位
1901年建造。建築物3件が現存(大門と仏軍宿舎と西南部軍官楼)。仏軍宿舎は四方に傾斜がある屋根で、1階にはアーチと四角い壁柱で装飾されている。全体的に簡素。植民地式建築。元はレンガ・木材の構造で、2階建てだったが、その後レンガ・コンクリートの3階建てに改修されている。大門はアーチ型の凱旋門をアレンジしたものでフランス語が刻まれていたが、その後改造されてしまった。壁の側面はそのまま残っている。西南部軍官楼は原型をとどめている。
1901年北京議定書締結により当時列強各国は大使館と兵営を設置した。フランス兵営の総面積23000u余り。
現在、北京市総工会が入っている。
警備が厳しい。写真撮影は問答無用の拒否。
「不可以照!撮るな!」と厳しく冷たいお言葉。

敷地の左右に古そうな建物が見える。
覗き込むぶんには叱られなかった。
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原国際倶楽部(旧国際クラブ)。台基廠大街8号。
もとはフランス大使館隣にあったが義和団に焼かれてこの場所に再建された。3階ヨーロッパ式建築。建築された年は不明。解放後も駐在大使館の職員の娯楽の場であった。テニス場、ボーリング場、ビリヤード、レストラン、バー、ダンスホール兼映画館の部屋、プールなどがあった。週末のダンスパーティは文革の頃まで続いたという。
今何に使われているのか不明。看板が出ていないが車の出入りは結構頻繁。
警備は非常に厳しい。
写真を撮ってもいいか聞くと「ここは観光地ではない。いますぐ立ち去れ」と睨み顔で怒鳴られる。
かなり若い青年だったが、非常に迫力があった。びびった。一体何を警備しているの、ここは。

写真は斜め向かいまで離れて撮った。電柱の横に三角屋根が少し見える。
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この建物の真正面が「中国共産党北京市委員会」。敷地内では制服に身を包んだうーじんが群れて行進している。なかなかかっこいい。
持ち場を交代する時、ピストルもカバーから外して確認していた。本物なの?怖いよ
元国際倶楽部の建物を撮れないかと立ち止まったとき、20台前半に見える若いお兄さんに声を掛けられた。
「你在這儿干麼呢?」だっただろうか。あんたなにしてんの?ぐらいに軽く聞こえた。
田舎のあんちゃんかと思って、完璧に無視をした。
そしたらまた同じように質問された。
物売りか?それともまさかのナンパ??かささぎ戸惑っちゃう。
そのとき彼の一言でかささぎ真っ青。
「うーじん(武装警察)なんだけど」
私服警官だったと初めて気がつく。
ちょっと勘違いしてしまったわ。(自分の歳をかんがえろっつーの)
かささぎ逃げるように立ち去った。ガイドブックにも「すぐその場を離れよ」ってあるし。気まずい時にも役にたつわ。
それにしても彼の服は田舎っぽかった。いや、田舎者を演出中?カムフラージュ?
オーラが完全になかった。5メートル先で“威風堂々”行進してる人たちと同じとはとても思えなかった。
今思い出すと、ドラマ「士兵突撃」の主人公「許三多」の私服姿みたいでかなり可愛い子だった。

奥匈使館旧址(オーストリア・ハンガリー帝国大使館旧址)。台基廠頭条3号。2001年全国重点文物保護単位。
元は裕親王府(栄公府)旧址。北京議定書締結後に修築。西洋古典式の建築物で、大門は2層、ひさしには三角の装飾。光緒26年に修築。中の建物の保存状態はいい。ドイツ倶楽部やオーストリア大使館として使われていたこともある。
写真はこのサイトに。
http://hi.baidu.com/lieliehongchen/blog/item/4256b6367f58ce300b55a920.html
「国際問題研究所」などぐん関係の看板が掛かっている。
警備が厳しく、写真は禁止。中を覗いても何も見えない。
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この台基廠頭条はかなり狭い。そのまま西に進み7や11号の番地札がついている辺りで。
壁の向こうには洋館や中国式の建物の屋根だけ見える。壁と鉄門に阻まれてる格好だ。
鉄門には10センチ四方のガラスの張った覗き窓がついている。
そこで窓を覗いてみた。
間髪いれずお兄さんの目が現れる。
お互いに覗き込む格好。
電車のガラス越しに見つめあう恋人状態ではないか。(ってまた妄想の始まり)
こっちはびっくりだ。思わずすみませんと言って(ああ日本人の癖)立ち去った。高圧的な態度で叱られはしなかった。
門の内側では常に緊張した状態で警備してんだろうなあ。若いのにえらいよ。
教訓:看板の出ていない古い屋敷の覗き窓を覗く時は、お兄さんと見詰め合う事になるので、前もって身だしなみに気をつけておくこと。(だって顔と顔の距離は30センチもないよ。)

意大利使館旧址(イタリア大使館旧址)。台基廠大街1号。2001年全国重点文物保護単位。
1869年東交民巷の東段北側に設置されたが、他国の大使館から少し離れていた。義和団運動の時、先に攻撃されるだろうとということで1901年にこの地に移転した。主楼は欧州古典式で、地上2階地下1階、門には3つのアーチをつけ、上は手すり付きのバルコニーになっている。内装が豪華。他に教会と官邸楼などの建物が残っている。大門には4方向に傾斜する屋根をもつ小屋が2つ置かれている。
「中国人民対外友好協会」の看板が掛かっており、警備のおにいさんはうーじんの制服ではない。
物腰も多少やわらかで離れた所からなら写真OKと言ってくれた。
ありがとう。やっと普通の写真が撮れた(その割りに下手だけど)。
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この後の話は、「私服警察官に怒鳴られる編」に続く。



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