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zoom RSS 日本占領下の北京 日本人の学校と暮らし 小羊圏(小楊家)胡同

<<   作成日時 : 2012/02/18 13:49   >>

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北京の道路って真っ直ぐで散歩しやすいのだけど、一歩胡同に入ると、車が通れないほど狭かったり、くねくね曲がっていて視界をさえぎられたりして、進んでいくうちに不安になることがある。目指した場所になかなかたどり着けない。新街口の護国寺界隈がそうだった。
あそこには「四世同堂」の舞台だった小羊圏胡同がある。現在の名称は小楊家胡同になっている。

今日は動画を見た。
北京テレビが2009年に制作した番組、百集高清纪录片《北京的胡同》。
小楊家胡同の紹介は第69回。
http://tv.sohu.com/20101029/n276773149.shtml
これを見ていて、自分が散歩したときのことを思い出した。説明看板が立っているわけでもないし、手入れの行き届いた立派な街門を構えた四合院があるわけでもないし、何の変哲もない普通の胡同だった。

………
四世同堂のお話のなかでは、この小羊圏胡同にも日本人が引っ越してくる。門号(番地)1号のところは7人家族で引っ越してきたし、3号のところも7、8人で入居していた。

第41章にも「自从南京陷落,北平就揄チ了许多日本人,在什么地方都可以遇见他们」とか、
「公园,北海,天坛,万牲园,在星期日,完全是日本人的世界。日本女的,那些永远含笑的小磁娃娃,都打扮得顶漂亮,抱着或背着小孩,提着酒瓶与食盒;日本男人,那些永远用眼角撩人的家伙,也打扮起来,或故意不打扮起来,空着手,带着他们永远作奴隶的女人,和跳跳钻钻的男孩子,成群打伙的去到各处公园,占据着风景或花木最好的地方,表现他们的侵略力量」
と書いてある。

日曜日になると、公園や動物園に出かける日本人の家族連れが目立つくらい、当時の北京には日本人が大勢いたの?

「北京の日の丸」によると、1940年に北京の日本人は前年の3万人から6万人に増加したそうだ。この数字が民間人だけを指しているのかとか、旅行者や短期滞在の人は含まれているのか、細かいことはわからないけど、仮に北京市内(城壁の内側)の範囲で6万人(現在の北京でも6万を超えないのでは)と考えたら…当時の日本人密度は相当高いことになる。

こちらのサイトでは「北京日本人史考」という本を紹介してる。
この本には当時の様子が書いてあって、例えば、1940年の日本人数は65278人(台湾・朝鮮籍含)で、1938年の日本人小学校在校生は2249人だったという記録が載っているそうだ。
また、「日本人小学校は東城区三条胡同豫親王府(今の協和医院の場所)にあった」そうだ。
http://www.age.ne.jp/x/commerse/kawara/kawarabn/9909/9909m.html

また、こちらには当時「民団立高等女学校」というものが北京にあると出ている。
(終戦直後の日本人の厳しい境遇が書いてある。北京飯店の様子も。)
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/11hikiage/H_11_308_1.pdf#search='

また、こちらには「自由学園北京生活学校」の話が出ている。日本人と中国人の両方募集する予定が結局は中国人だけ募集した。学校の場所は鼓楼大街小石橋2号だったそうだ。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/81002079.pdf#search=''

また、こちらは中国内の在外指定学校の説明。
北京日本中学校、北京日本第一高等女学校、北京日本第二高等女学校、北京日本商業学校( 北京日本工業学校)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%88%B6%E4%B8%AD%E7%AD%89%E6%95%99%E8%82%B2%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

また、こちらは北京興亜学院の説明。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E4%BA%AC%E8%88%88%E4%BA%9C%E5%AD%A6%E9%99%A2

また、こちらで紹介しているのは、北京にある北方工業大学。前身は北平高級工業職業学校であり、日本人の学校を接収したものだと書いてある。当時の教員は帝国大学から来ていたそうだ。
http://baike.baidu.com/view/734361.htm

北京にはもっと日本人の小学校があったはずなのだけど、検索で出てこなかった。ただ、検索しているうちにほかの学校の話が出てきたのでそれはそれで良かった。「居留民団」という言葉を始めて知った。

天津の日本人小学校のことならこちらに詳しい。
http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/kiyo/AA11625039/KJ00000700007.pdf

………
四世同堂では腕白な日本の子供に、わが子が苛められているのを見て韻梅がキーッってなる場面がある。平和な時代ならまだしもあんな時代であれば母親もたまったもんじゃない。

で、当時の人間関係ってどんな感じだったのだろう。

こちらには当時、新街口に住んでいた北京人の証言が出ている。
「私の家の近くにも日本人家族がいて、当時同じくらいの年だった子と遊んだこともあります。ですから、小学校くらいのときは、日本人と中国人の関係はそんなに悪くありませんでした。でも、次第に悪くなっていきました。」と言っている。こちらにはこの人の年表も載っていて、それを見ると、1941年ぐらいまでは比較的穏やかな雰囲気があったようだ。
http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/0-kyouiku/research/kotoba/18/kawakami18.pdf#search=

当時の日本人は北京をどう見ていたかというと。
「皇軍の手厚い庇護はこの旧都に再び安民楽土の風景をとり戻した」とか「治安が回復し、少しも戦場の感じがしなかった。」と書き記しているのは1938年に北京を訪れた画家の川島理一郎氏。盧溝橋のあと、ポンと北京にやってきた人には、そう見えたんだろう。

村上知行氏の「北京十話」と言う本では、前書きにいきなり「戦争だ!今のあいだに日本の株を、日本の札を、日本の証券をどしどし買っておけ!…と北京のある人々が…こんなうわごとをささやきあった。それが盧溝橋事件からせいぜい一、二年の間である」と書いている。やはり最初はずいぶん勢いがあって景気のいい話をしたものらしい。
その後1、2年すると北京でも「言論の統一だ、皇国のなんだかんだと、と弾圧がはじまった」そうだ。この人は当時新聞社の記者をしていたので、当時の風潮に敏感だった。

意外だったのだけど、この本には明るい話が多かった。「筆の自由が無いとき」に書かれたものだから、複雑な心中は行間に込められているはずなのだけど、単純に面白く読めた。当時の雰囲気が伝わってくる。
例えば当時の日本の1円は、中国で両替すると2円になったそうだ。
村上氏が借りた部屋は東華門近くにある百人ほど住む公寓の一角で家賃1か月7円だったとか、1か月の暮らしに40円かかるとか。
人力車を1時間チャーターして10銭だとか、当時の銅貨は“双枚”といって1枚が2枚に計算されるとか。
当時北京には「居留民団」が経営している中国語専攻の「同学会」という学校があって昼の授業は7、8元で、夜の授業は1円50銭だったとか。
体調不良でのぼせたときは生きたおたまじゃくしを飲んだとか。
銀20元(日本のお金で12、3円に相当)の給料で北京の邦字新聞「新支那」で働いたとか。
満州事変が起こってからは日本人の住むところに巡警が配置されたとか。
三条胡同には幽霊屋敷があったとか、北京飯店と書いてグランドホテルと読むとか。
中南海は「中南海公園」になっていて自由に中に入れたとか。
北京には蒙古猫という凶暴な猫がいたとか。
盧溝橋事件の夜は雨が降ったとか、街には戒厳令がしかれたとか。
7月27日には日本居留民全員公使館区域に引き上げるよう命令が出たとか。

四世同堂のドラマに流れてくる曲は「支那の夜」ばかりなのだけど、この本には当時の流行歌として田漢作詞の「天涯歌女」が出てくる。こういう歌です。
http://www.56.com/u55/v_NTEwNTMzNjA.html

………
2009年の胡同を思う存分見たい人はこちらから。百集高清纪录片《北京的胡同》第1回から第100回まで。
http://v.ku6.com/playlist/index_6223421.html
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