北京 テレビ番組「紅色地図」3 歌の記念館、焦庄戸地道戦遺址など

北京テレビで放送中の“红色地图”。
6月1日の放送。
斯诺墓。場所は、北京大学・未名湖の南側。
エドガー・スノーが一二九運動に参加できたのは事前に地下党が教えてくれたから。
燕京大学で教鞭をとっていた当時の贝公楼(1926年建)が残っている。(今は办公楼と呼ばれている)

6月2日の放送。
冀热察挺进军司令部马栏村旧址纪念馆。場所は、门头沟区斋堂镇马栏村。
こうにち戦争の話。冀は河北、热は熱河、察は察哈尔のこと。挺进军は軍隊の名前。

6月3日の放送。
冀热察挺进军司令部の続きの話。

6月4日の放送。
《没有共产党就没有新中国》创作地。場所は房山区堂上村。
誰でも知ってるこの歌の誕生秘話。

6月5日。
没有共产党就没有新中国纪念馆。場所は房山区堂上村。
2006年にこの歌の記念館が作られた。90周年記念の歌番組でも本当によく歌われていたっけ。

6月6日。
白乙化烈士纪念馆,纪念碑。場所は、黑龙潭景区の中で、密云水库に面している。
白乙化という人は八路軍第10団の団長であだ名が小白龙将军、こうにち戦争中に亡くなった。

6月7日。
白乙化烈士纪念馆,纪念碑の続き。
記念碑ができたのは1984年、記念館ができたのは2006年。

6月8日。
沙峪抗日纪念碑。場所は、怀柔县沙峪村。
1938年6月八路军第四纵队がここで日本軍とぶつかった。北平こうにちの始まった場所。

6月9日。 
沙峪抗日纪念碑の続き。
八路军第四纵队参谋长·李钟奇らの話。

6月10日。
鱼子山抗日战争纪念馆。場所は、京东大峡谷に位置する平谷县山东庄镇鱼子山村。
こうにちの根据地だった。

6月11日。
鱼子山の兵工厂。
地雷や手榴弾を作った話。

6月12日。
六壮士纪念碑亭。場所は、房山区十渡村の老帽山。
ここはこうにち根据地だったところで、日本軍と銃撃戦になった。逃げ場を失った中国側の兵士6人が捕虜になるのを拒み崖から飛び降りたという話。

6月13日。
贝家花园。場所は、海淀区北安河村。
贝西叶というフランス人のお医者が娘の病気を機にこの地に屋敷を立てた。
温泉村にいた日本軍を避けて薬を運ぶなどの交通线”の役割と、地下情報員の“网点”の役割をしていた。

6月14日。
焦庄户地道战遗址纪念馆。場所は、顺义区龙湾屯焦庄户村。
ここは2つの根据地の間にある大事な場所だった。攻撃から身を守るため考え出されたのが地道战(村の地下に地下道や仕掛けがある)。
紹介されていたのが映画《地道战》。

6月15日。
焦庄户地道战遗址纪念馆の続き。
锅台、炕洞、水井、驴槽、猪圈などが出入り口になっている。

6月16日。
焦庄户地道战遗址纪念馆の続き。
この地下道、是非体験してみたいと思った。
HPはこちら。
http://www.bjjzhdd.com/
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