北京 東交民巷(正義路から東側) 弐 散歩おばさん警察に怒鳴られる

「壱・妄想編」の後の話。
東交民巷に戻り、西に向かう。

法国使館旧址(フランス大使館旧址)。東交民巷15号。台基廠大街と東交民巷交差点北西角。2001年全国重点文物保護単位。
1903年建造。大門と4棟の建物が現存。敷地内には噴水と建物4棟がある。建物は線対称に配置され、レンガと木材構造で、地上2階、フランスの田舎の別荘風建築になっている。大門はレンガで造られ、壁柱とアーチを使ったデザイン。その外観はパリの凱旋門に似ている。

この大門、確かにインパクトがある。通りかかった瞬間からひきつけられる。大きな石のお獅子も立派だ。ぜひ写真を撮りたいところだか、うーじんのお兄さんに「不可以!」と厳しく制止。せめて一部分だけでも撮らせてと粘ってみたが無視。「単位」の看板が出ていないということは逆に警備が厳しいということだ。
更に道路対面には看板のない鉄門がある。10cm四方の覗き窓つきのやつ。先ほど学習したので覗かない様にした。ここには公安の車も止まっていたし、雰囲気は硬い。
“凱旋門”に付けられた赤い鉄扉の向こう側は良く見えない。周囲は当時のままという壁に阻まれている。中の気配は一切分からなかった。
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隣の敷地は17号。壁でしっかり囲まれていて小さなドアが一つだけある。そのドアの前ではうーじんのお兄さん5,6人が、赤ちゃんを抱いた女の人と楽しげに談笑していた。壁の向こうに洋館の2階部分が見える。
かささぎその洋館を撮ろうと思ってカメラを向けた。
そのとき、20mほど向こうから、怒鳴り声がした。「おい!、おい!」って。
顔を上げるとこっちを指差しならがらおじさんが大またで寄ってくるのがすぐ判った。
今度こそナンパ?
なわけがない。今度はすぐ気がついた。
歳がいっているおじさんということは、公安か。

どうせなら若い子を私服にしてくれませんか
この歳でおじさんから怒鳴られると結構キツイのよ。
家ではいつも叱る側のかささぎ。怒られた時の気持ちを思い出した。それはそれでよかったか。

法国郵政局(フランス郵便局)旧址。東交民巷19号。フランス大使館旧址と同じ並びで道路北側。1995年北京市文物保護単位。
1901の年北京議定書により西側各国は執務と居住の場として東交民巷に大使館区を作った。大使館と官邸の他にも多くの施設や機関が造られた。1910年フランスはこの地に郵便局を作り郵政業務を行った。この建物は一階建て、レンガと木材からなる構造。レンガは灰色レンガで壁に塗装なし。屋根は三角の装飾が連続するデザイン、間に「女儿牆」と呼ばれる中国の低い壁に使われる装飾がついている。“植民地式”の折衷主義による建築物。
この建物には「静園酒家」というレストランが入っている。
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日本公使館旧址(初期は日本大使館として使われ後期は日本の兵営になった場所)東交民巷21号/23号。法国郵政局の西隣。2001年全国重点文物保護単位。
説明プレートを見逃した。写真に撮れなかった。
以下サイトでの説明。
この日本公使館は東交民巷に現存する最も古い建物である。1886年建造。片山東熊という建築士の設計。レンガと木材を使った1階建て。屋根下には「女儿牆」とその上に三角の形の装飾、入り口はアーチ型で、西欧古典式のデザイン。後にこの建物を四合院構造に拡張している。
1900年八カ国連合軍の進軍後、大使館区として東交民巷が新規に区画わけされ、日本公使館は正義路2号(現北京市人民政府)に移った。
このあたりで一番古いというその建物を見てみたかった。番地で行くと21号寄りのほうにあるらしい。こっちがわは居住区になっており、たまに普通のおばさんが鉄門を開けて三輪車で入ったりするので覗くしかない。正面に古い洋館があるのは分かるのだが、それがその建物かはよく分からなかった。
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東交民巷に面していてよく見えるこちらの古い建物(番地:23号側)は兵営だったと説明しているサイトもある。見た感じはなかなか立派。部屋の中は灯りがついており人が働いているようだ。写真は幾ら撮っても大丈夫。
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西隣は東交民巷飯店になっている。最上階に泊まったらもう少し日本公使館旧址の様子が分かるだろうか。

正金銀行旧址。正義路甲4号。東交民巷と正義路交差点の北東角。2001年全国重点文物保護単位。
1910年建造。地上2階地下1階。妻木頼黄という建築士の設計。レンガと木材の構造。建物の裏側と内部は木材が多く使われている。この地は角地であり建物はL字に建っている。曲がる所の上部は3階がつき鋼板のドーム型塔楼になっている。西洋古典式のこの建物、精密な造りになっており、近代銀行建築の優れた作品になっている。
ここは横浜正金銀行の北京支店だったところ。いまは建物壁面に「中融集団」の文字がくっついている。
中の人に声を掛けてみたが見学はできないとの事。
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正義路東側を北に向かう。エ、イ、ジ、ュ、し、れ、ぃ、ぶ、と大書してあるところにつく。
遊びにいくところではない。決して。着剣した銃を構えた衛兵が左右から睨みをきかせているので、誤解されるような行為をとらないこと。

その北が北京人民政府。正義路2号。引っ越した後の日本大使館旧址がここ。
サイトで検索したところ、敷地内に1909年建造の、清水英夫という建築士が設計した建物があるという。
車が頻繁に出入りしているし、警備も立ってるので長居する場所でではないと思った。本当に用事でもあれば堂々と入れるのに。
道路に面した大門は外国人受けしそうな渋さ。独特の雰囲気がある。
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正義路西側は公安部に大きく場所をとられている。その一角に屋根しか見えない屋敷がある。
そこが「英国大使館旧址」であり、「淳親王府」の屋敷である。サイトによると王府の正殿、翼楼、后寝殿、配殿などが残っている(内装は換えられている)ほかに、ローマ凱旋門風の門をもつ2階建ての西洋建築物があるという。
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正義路はうっそうとしている。目隠し効果は抜群。丁度新緑の時期、緑の匂いがたまらない。
日比谷公園を歩いている気がした。
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防犯カメラも沢山設置されているが、癒しの銅像だってある。
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東交民巷(特に東側)、正義路、台基廠大街は今までのお散歩コースと確かに違った。
公安の車はあちこちに止まっているし、制服を着ている人も着ていない人も沢山働いている場所。
余計な手間を取らせないよう、彼らの流儀に従ったうえでお散歩するに越した事はない。

田舎者かささぎ、直立不動している制服の方ににどう接したらいいのか分からない。
目を合わせないようにしたほうがいいのか、「ご苦労様」って言ってあげてもいいのか。
ジロジロ見たら失礼なのだろうけど、ついつい見てしまう。
気になってしょうがない。どんなこと考えて立ってんのかなあとか。
警備って大変な仕事だと思う。働く男はかっこいい。怪我のないように務めて欲しい。

かささぎのさくらんぼのような唇がヘルペスのせいで腫れ上がってしまった事は先日書いた。
日差しを避ける為この日もマスクをしようかどうか悩んだが、していかなくて正解だった。
でも、多くのお兄さん達にたらこ唇を見られてしまった事ちょっと恥ずかしいわ。
帰ってくる言葉は「不可以(だめだ)」ばっかりで、拒否され続けたけど、若い男の子と話す機会なんてめったにないんだから、どうせなら体調のいい日に行けばよかった。





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    Excerpt:  と、前回の続きで康煕帝の皇子達の王府の位置を再度調べて見ました。  本文に入る前に、以前に作った地図を《清北京歴史地図》iで不明確だった王府の位置を特定したり、後で入手した資料で補強した地図を提示し.. Weblog: 宣和堂遺事 racked: 2013-04-14 04:18