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zoom RSS 沈従文 辺城(辺境の町) 鳳凰古城 少数民族 生い立ち

<<   作成日時 : 2017/04/26 12:46   >>

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旅行パンフレットに載っていた「武陵源・鳳凰古城の旅」。世界遺産の武陵源と老司城、有名観光地の張家界と鳳凰古城を巡る行程だった。湖南省は岳阳・长沙・韶山しか行ったことがないので西の地方(中国語で湘西)は想像するしかない。

今年北京で行われる大学入試の国語の“必考范围”に挙げられたのは「红楼梦」「呐喊」「边城」「红岩」「平凡的世界」「老人与海」。紅岩は以前ちょっと勉強したが、「边城」(邦題:辺境の町)のことは何にも知らない。この小説の作者は中国国家博物館で蝋人形にもなってる沈従文(しんじゅうぶん。沈从文)。ノーベル賞候補にも挙がった超有名な人だった。

長い小説でもないので原文を読んでみた。素朴で純粋で理不尽でさらっとしていてなんだか神話の世界。1934年(魯迅が亡くなる2年前、老舎が骆驼祥子を書く2年前、郭沫若が浅草で遊びすぎて淋病をもらう1年後。山東では“紅高粱のどろどろ世界”が繰り広げられていたころ?)にこんな清らかな作品が書かれていたことに驚いた。
映画も見たが、主人公の少女が可愛らしかったし、孫娘を大事に育てるおじいさんがすごくよかった。
舞台の「茶峒」という町の雰囲気が何かに似ていると思い、よく考えてみたら映画「芙蓉镇」の「永顺县」の近くだってことに気が付いた。
それから、「茶峒」と観光地であり沈従文の故郷である「鳳凰古城」とは同じ場所ではないってことにも気が付いた。
また、「鳳凰古城」がおったまげるほど美しい街で有名なのだってことも知った。ニュージーランド出身で1927年から中国に長く関わったLouis Eli氏に「中国で最も美しいのは湖南の鳳凰と福建の長汀だ」と言わしめたほど風光明媚な街だった。

百度によると「20世纪中文小说100强」というランキングで、1位が魯迅の「呐喊」で2位がこの「边城」なのだという。中国人民がこよなく愛する小説と原風景を彷彿させる美しい観光地のコラボ。これは最強の聖地じゃないか。

なぜこの小説がそんなに人気なのか。「边城读后感」で検索した。
「都会人は大自然に憧れ、信用し助け合う人間関係に憧れる。もっと純朴でシンプルな暮らしを求め、勤勉で平和を愛する心を呼び起こそう」という小学生や、「沈の小説は悲劇が多いが美しくて愛おしい。悲しいラブストーリーだが人の心の純粋さや善良さに胸打たれた」という中学生や、「作者の湘西苗族文化に対する考え方や、苗族と漢族、中国文化と西洋文化の衝突に対する内に秘めた憂いを感じる」という高校生の作文があった。

小島久代氏が翻訳した「辺境から訪れる愛の物語」という本も読んだ。「辺境の町」も勿論よかったが、「月下小景」や「夫」の訳の雰囲気が痺れるほど素晴らしく、作者の世界観にどっぷり浸ることができた。さらには巻末の解説がとても詳しくて、沈従文がどんな人か理解するのにとても役に立った。

小説もいい。だけどもっと惹かれるのは沈従文の生い立ちや生き方。小島氏の本では、沈の生涯を6つに分けていた。
@湘西時代(1902〜1923)
A北京時代(1924〜1927)
B上海・武漢・青島時代(1928〜1933)
C北平時代(1934〜1937)
D昆明・北平時代(1937〜1948)
E北京(文革中の湖北省双溪に居た時を含む)時代(1949〜1988)

どの時代も波瀾万丈で、連続テレビドラマにしたら絶対いけると思う。
例えばAの時代。宣武门にある京师图书馆に通って勉強したとか、一番人気の清华大学の留学预备班に入りたかったが当時は試験ではなく紹介状やつてで入学する方法だったため諦めたとか、校長蔡元培の意向で聴講ならば誰でも受け入れた北京大学で国文や日本語を勉強したりとか、燕京大学二年制国文班を受験したが零点を取ってダメだったとか、お金がなくて友人に食べさせてもらっていたとか食費を踏み倒したとか、作家の卵どうしの友情が芽生えたとか、こういう苦労話は大好き。

例えばBの時代。徐志摩の紹介で胡適が校長をしていた中国公学で沈が教鞭をとることになり、その学校で教え子の張兆和に恋文をさんざん送り付け、4年かけて結婚に至った(そのせいか、百度で沈从文と検索すると情书とすぐ出てくる)というエピソードがすごい。教え子に恋文攻撃を仕掛けたというのもしつこくてすごいが、その攻撃に堪らず直訴しに来た張を逆に諭して帰らせた胡適も豪快ですごい。

例えばEの時代。“桃红色文艺”とみられたり“反动派”とみられたりして(攻撃したのは郭沫若)徐々に精神を病み自殺未遂まで起こしてしまった件では沈ですらそうなってしまうのかと驚いたが、考えてみれば中国あるあるだと思った。中国だけのあるあるでもないだろうけど。
また、革命大学に入れられて今後も創作を続けるよう指示されたり、毛沢東に「これからも小説書きなさいよ」と言われても筆をとらず、50歳という年齢ながら文物研究者としての新たな人生を選択し、最後には「中国古代服飾研究」という本にまとめたのもすごかった。
なぜ創作を続ける気がなくなったのかというと、上海の开明书店から「あなたの作品はもう時代遅れです。当社に残っているすでに印刷された原稿もまだ印刷されずに残っている原稿も、活版印刷で使う紙型も全部破棄致しました」という手紙を貰っていたから。茅盾の原稿の話ではないが、沈の書く字はとても上手だそうだから、こういうのが残っていたら高値が付いただろうに。

一番興味深かったのは@の湘西時代。エピソードもすごいし、湘西っていったい何なんだって思った。
「湘西」の「湘」は湖南省を指す漢字だから、湖南省の西側という意味なのだけど、実はこの辺りは元来「南方少数民族」が暮らす土地であり、つまり「湘西」という言葉には最初から少数民族の文化や歴史のにおいがくっ付いていた。百度で「湘西」と検索すると最初に「湘西土家族苗族自治州」と出てくるぐらいで、ここは土家族(トゥチャ族)や苗族(ミャオ族)が沢山暮らしている場所だった。

少数民族というとカラフルで独特な衣装とか歌垣とか山歌とか珍しいお祭りなどを連想し、牧歌的で平和でのどかで純朴で人情味溢れた優しい感じがするのだけど本当はそればかりではない。
「沈从文传」という本に詳しく書いてあった。

湘西に原住していたのは苗、瑶、侗、土家などの南方少数民族で、ここに住む漢族は後からやってきた移民である。だが唐朝前より少数民族は「蛮族」と括られて呼ばれていた。宋朝になって苗族、瑶族、侗族、土家族と分けて認識されるようになったが、「蛮」という立場は変わらず、長い間征服され同化されてきた。清朝になると「改土归流」という政策により厳しい鎮圧が行われ封建統治が確立された。それに反発した苗族は何度も武装蜂起した。有名なのは1787年に起こった「湘黔苗民大起义」で、清軍は18万人の兵力を投入、10年に渡って争いが続き、沈の故郷である鳳凰も戦場と化した。清朝軍も大きな損失を被ったが、苗族も三分の一に減ってしまった。

それから百年以上後の話。鳳凰の町外れの黄罗寨に暮らしていた沈岳焕(従文のこと)の祖父沈宏富は、鳳凰に駐屯する清朝の緑営兵にまぐさを売っていた。のちに入隊し出世して貴州提督まで上り詰めるも、30歳で亡くなる。跡継ぎを作るため養子をとることになったのだが、その養子は沈宏富の弟に妾を取らせ産ませた子供だった。沈宗嗣と名付けられたその子が沈岳焕(従文)の父親。妾は苗族の女性で、当時苗族は差別され売買の対象であり、子供が生まれお役御免となると、ほかの地に嫁に出されてしまった。沈家ではこの事実を隠すため、黄罗寨に偽の墓まで作って祀っていた。というのも、苗族や苗族の子供は科挙試験を受けられない決まりがあったから。

この土地は元来軍人を多く輩出する土地柄(緑営兵の影響?街には五千人も兵がいたという)で、読書人は少なかった。沈宗嗣も幼いころから武術を習った。のちに入隊し天津の大沽に駐屯していたが、八カ国連合軍の攻撃を受け逃げ帰ったり、鉄血団に加わって袁世凱の暗殺を企て失敗したりしている。沈宗嗣が娶った妻は土家族出身で読書人の家柄で教養が高かった。
その夫婦から生まれたのが沈岳焕(従文)。沈には漢族と苗族と土家族の血が流れていたことになる。また両親の血筋からして文武両道の子供だったと思う。

暗殺計画関与の発覚を恐れた父親はなかなか帰郷せず、父親不在の沈はやんちゃに育った。私塾に行ったり新式の小学校にも通ったが、教科書は何回か読めば暗記できてしまううえ、じっとしていられない性分だったのでよくサボった。川で遊んだり、牛のと殺や解体を見たり、監獄近くの処刑場で死人の頭や体を棒でつついたり群がる野犬に石を投げたり、沱江が洪水を起こした時は流されてきた金目の物を引き上げ自分のものにする人々を眺めていたりした。

やんちゃだったことや家計が苦しかったことから、母親は15歳の息子を湘军(湖南軍)に入隊させた。沈は支队司令卫队に入るが一年しないうちに司书(文書係)の仕事を任される。そのころ军法长から論語にちなんで「从文」と呼ばれるようになった。袁が死去し地方軍閥が自立すると、湘西に靖国联军第一军政府ができ、沈が配属された张学济第二军第一支队は、芷江の榆树湾で匪賊討伐を実施し2000人殺害した。また怀化镇では黔军(貴州軍)と戦ったり、匪賊討伐で200人殺害したりした。匪賊を捉え裁判をするときの書類管理は沈が行った。首切り処刑を一緒に見ては「処刑されるときの流儀が分かっていない」と話す上官たちの話を聞いたり、12,3歳の子が父親の首を引き取っていくのを見かけたりした。逃走兵が捕まって斬首されたり、気がふれて仲間を斬り殺す兵が出たりした。新聞を読むことを勧めてくれた日本留学帰りの親切な秘書官があっさり戦死した。親身になって面倒を見、字の練習を欠かさぬよう助言してくれた7歳上のいとこが軍隊の給与を運ぶ途中で裏切りに遭い殺害された事件もあった。1920年、湖北省西部の来凤で民兵に襲われ部隊が壊滅。歳が若いからとたまたま留守を預かっていた沈は難を逃れ鳳凰の実家に帰ることができた。18歳だった。

その後芷江で收税员になる。真面目に務め人柄を買われて良縁を紹介してもらうも、友人马泽准の姉を好きになってしまい断った。いい友人だと思っていた马から借金を頼まれ、気が付いたら1000元も貸したまま、马は失踪してしまった。马の姉は匪賊にさらわれてしまった。沈は母から預かっていた財産を失ってしまった申し訳なさと、失恋の痛手から逃げるように芷江を去った。

その後桃源に陈渠珍が率いる靖国联军の部隊の一部が駐屯していることを知り、支队の司令を務めている贺龙のところに紹介状を持って行き入隊を認めてもらった。そこではまた司书を務め字がうまくて重宝された。また陈渠珍の书记(事務係)を務め文物の整理を担当した(このころ工芸品への興味と理解が培われた)。夏のある日仲間と泅水に出かけ、友人の一人が沈の目の前で川に飛び込み、おり悪く増水していた川の渦に巻き込まれ溺れ死んでしまった(辺境の町の話と重なる)。この友人の死をきっかけに、従文は軍籍を離れることを決意した。陈渠珍に反対されるかと思いきや同意を得ることができ、向学の念に燃えて(何を勉強するかは決めていなかったが)北京へ旅立った。20歳の時だった。

子供のころから人の死が身近にあったのには驚かされるが、少数民族の文化風習を含め、この湘西時代に見聞きしたことや身につけたものがその後の肥やしになっているのだから何も無駄になっていない人生だった。中国の当時の小説家というと、地元では神童扱いされ有名大学を出て海外留学をしてっていうイメージが強かったので、こんな人もいるんだって感心した。

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