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zoom RSS 楊椒山祠 北京の「疏解」 通州行政副中心

<<   作成日時 : 2015/12/19 18:12   >>

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ペットや植物を扱う陶然亭花鸟市场は二环の内側に位置する貴重な存在だったが、閉鎖されたという話をラジオで聞いた。なんか最近市場の閉鎖の話が多い。そして気になるのは“疏解”と言う言葉。北京は一体何をやってるのだろう。

11月末の北京市委十一届八次全会で可決されたのが「十三五规划建议」。経済の中高速成長を保つ、全国科技创新中心や全国文化中心を建設する、通州に市行政副中心を建設する、人口规模を調節コントロールする、交通渋滞を解決、水環境の向上、服务业扩大开放综合试点を推進、养老服务体系建設の推進、2022年北京冬奥会筹备工作を成功させる、など重点問題に説明を付けたものだった。

その中で気になったのは通州に北京市行政副中心を建設するというもの。「非首都功能」を“疏解”させるのが目的。北京にはびこる「大城市病」(環境汚染とか交通渋滞とか)の元凶は人口が無秩序に増えること。だが北京中心部においてそれをコントロールするのは難しい。よって「非首都功能」を“疏解”させることで構造を調整しなおし、発展方式を変えていく必要がある…のだそうだ。つまり“疏解”とは北京中心部に集まりすぎた人口を分散させるための手法。

北京行政副中心を通州に造って人口を40万人移動させるとか、それも含めて北京中心部から周辺部へ200万人移動させるとか書いてある。壮大な計画。仮に“疏解”が成功したら北京はいったいどうなるの?老北京に憧れるかささぎの脳には「ホントの北京は二環内」って刻まれている。通州なんてアウトオブ眼中、ど田舎のイメージしかなかったのに。北京はどんどん変わろうとしていて、石頭の欧巴桑を置いてけぼりにしようとしている。

今後の北京の計画が書いてある記事:
http://epaper.bjnews.com.cn/html/2015-12/01/content_610629.htm?div=-1
………

西城区2015年历史文化名城保护年会で発表されたこと。
今年始まった「宣西北院落保護修理プロジェクト」には、杨椒山祠・沈家本故居・太原会馆・东莞会馆・龚自珍故居が該当している。予定では「十三五期间(2016〜2020年)以内で完了し市民に公開されることになっている。

西城区の担当者によると、保護修理プロジェクトは3つあってそれぞれ大剧院西・宣西北・天桥北の地域が対象になっている。宣西北の広さは13ha、対象となる2287世帯は自主的を原則とした退去に応じることになる。まずは住民の意思統一を図り、新居の居住条件を固めたうえで、老城区以外(つまりニュータウンへ)に引っ越してもらう。どうしてもこの地にこだわる場合は、同じ場所には住めないが近い場所へ移れるようにする。どのぐらい補償金が出るかについては、すべてを透明化し、隣近所がどれだけ保障を受けるのか誰でも調べられるようにする。

杨椒山祠・沈家本故居・太原会馆・东莞会馆・龚自珍故居は市区級の文保单位。住民の明け渡しが済んだのちは、商業利用するのではなく、政府が使用権を購入し、“接续历史,传承文化”をモットーに最適な利用を長期的に行う。文物の利用方向と原則をしっかり固めたうえで活用することになっている。
例えば、沈家本故居では沈家本の史実に基づき法制文化宣传に関する活用を、杨椒山祠では历史文化の源流をたどれる活用を考えている。

●杨椒山祠(松筠庵)
場所:宣武门外大街西侧,达智桥胡同12号、12号旁门及校场三条2号院。
占地面积:2682m2。建筑面积:1482.9m2。
文化价值:北京市文物保护单位。

ここはもともと城隍庙だった。
明代は杨继盛(号が椒山)が住む传舍(公房馆舍)であった。
清乾隆五十二年(1787年)に刑部の官员が訪れ、松筠庵と呼ばれていたここの大堂を杨を祀る祠堂(景贤堂という)に改修した。
道光二十七年(1847年)に心泉という僧が大厅を増築し、石刻の名手である张受之に严嵩を諌める文を彫らせ壁にはめ込んだ。大书法家の何绍基はその大厅に谏草堂と名付けた。
心泉はさらに翌年、南西側に八角形の谏草亭を建て、回廊と築山のある庭を造った。
祠と寺が一つになったこの祠堂は、静かで高雅な場所として、清末の士大夫が集まって政治を語る場になった。

●杨继盛(1516〜1555年)。字仲芳、号椒山。河北容城人。嘉靖三十二年(1553年)に严嵩を弾劾し罪を負って入獄、3年間監禁され酷刑で死すが最後まで屈しなかった。人々から忠臣と慕われている。

●康有為と杨椒山祠
康有为は下関条約に反対した人。举子(科挙の受験生)1300余名の署名を集め、万言书を上奏し、国土割譲と賠償に反対し、变法强国を求めた。
当時举子たちは松筠庵や向かいにある河南会馆(嵩云草堂)に集合した後、都察院に赴き、朝廷へ上奏した。これが有名な“公车上书”运动。
http://epaper.bjnews.com.cn/html/2015-12/07/content_611629.htm?div=-1

以前見に行ったとき。
http://33665307.at.webry.info/200906/article_25.html
将来公開するとき、どんな感じになるのかなあ。また散歩に行ってみたい。

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