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zoom RSS 天安門 肖像画 標語 毛沢東の絵

<<   作成日時 : 2014/10/08 23:38   >>

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最初の天安門は1417年に“三层五间式”の“木结构牌楼”として建てられ、当時は“承天门”と呼ばれていた。落雷で焼失したことも一度あるし、北京を攻めた李自成に破壊されたこともある。1651年に再建され名前が“天安门”に改められた(その意味は「受命于天,安邦治国」、深いなあ)。1688年と1952年に大規模修理が行われているから、今見ているのは清朝前期の姿ではなくて、62年前のものになる。

天安門には昔から標語や肖像画が掲げられてきた。
1937年中華民国臨時政府(傀儡政府)により“祝南京陷落”という言葉が飾られたことがある。その後は“建設東亞新秩序”という標語が掲げられた。蒋介石が北平入りすると今度は“天下為公”という標語になった。1949年になると共産党が“慶祝北平解放大會”とか“中國人民勝利萬歳”とその時々に言葉で飾った。開国式典以後は“中华人民共和国万岁,世界人民大团结万岁”という言葉をどーんと飾っている。

肖像画については、実はいろんな人の絵が掛けられている。北洋軍閥政府時代は袁世凱、南京国民政府時代は蒋介石の絵だった。袁世凱のものは時代が古すぎるのか当時の写真がネットに出てこないが、蒋介石のは出てる。城壁に掛けるのではなくて城壁の上に置いてある。それも結構大きい。
1949年冬、人民解放軍が北京に入城すると、小ぶりの毛沢東像を中心に据え、両脇に朱徳、林彪、聶栄臻、葉剣英の像もずらりと並べて北平開放大会を祝った(朱徳、周恩来、劉少奇、任弼時、聶榮臻、更にもう一枚毛沢東の絵があったという話もあるが、画像が悪くてよくわからない)。
同年7月7日には毛沢東と朱徳の二人が並んで掲げられた。そして10月1日開国式典には毛沢東の大きな絵が掲げられた。
また、一日だけだったらしいが、スターリンが死去したときに彼の肖像画を掛けたことがある。天安門で追悼式をやってる写真が残っている。

………
今年も新しい肖像画への架け替えがつつがなく行われた。
あの絵は縦6m、横4.6m。額縁を含む総重量は1.5t。今年2014年は27日の真夜中23時57分に作業が始まり、クレーンも使って、40分後に無事終了したのだそうだ。
(ちなみにこの手描き肖像画は東半球で一番大きいそうだ。ということは西半球にはもっと大きいのがある?)

年に一度取り替える決まりは1966年(文革の始まった年)に党中央が定めた。それまでは記念日だけ飾るものであって、一年中外に飾っていたわけではなかった。

ところで、「天安門の毛沢東の肖像画は今まで8回“更迭”されてきた」という言い方がある。一瞬ドキッとするが、要するに過去の毛沢東像は8バージョンあって、その時々で換えられてきたということらしい。

最初のバージョンは1949年2月12日の北平和平解放大会を祝う目的で掛けた小ぶりの絵。遺影みたいでちょっと怖い。描いたのは「北平国立艺专」で先生をしていた董希文。
2番目が1949年、七七記念の時朱徳と二人セットになって掲げられた絵。帽子をかぶって左上斜めを向いて柔らかい表情になっている。襟が開いている。描いたのは董希文。
3番目が1949年10月開国式典。左上斜め向き。八角帽をかぶり、詰襟はきちんとしまっている。歯が見えている。描いたのは「北平国立艺专の实用美术系」の周令钊。
4番目は1950年メーデーにたった一日だけ掛けられた絵。右上斜めを向いている。口は閉じている。帽子はかぶっていない。描いたのは「人民美术工作室」の辛莽。目線が大衆を見ていない、まるで“目无群众”じゃないかと難癖がつけられた絵。
5番目は1950年国慶節〜1952年メーデーまで。帽子なし。左を向いている。口は閉じている。描いたのは辛莽。
6番目は1952年国慶節〜1963年メーデーまで。帽子なし。真正面を向いている。描いたのは「中央美术学院」の张振仕。
7番目は1963年国慶節〜1967年9月30日まで。帽子なし。若干左向き。描いたのは张振仕。
片耳だけ目立つという理由で、まるで“偏听偏信”じゃないかと難癖がつけられた絵。文革の時代は難しい?
8番目は1967年10月1日〜現在。描いたのは「北京市美术公司」の王国栋だったが、1977年より体力的な問題から、制作を弟子の葛小光に譲った。
なお、1976年毛沢東追悼式で掲げたのは新華社が作ったモノクロの巨大写真だった。
  ※期間について、サイトによってちょっとずれがあるようです。

今掲げられている肖像画は王国栋が作画したもの。特に目の表情にこだわって制作したのだそうだ。よく言われるのが、実際に行った観光客が絵の前のどこの位置に立っても毛主席と目が合うような気がするってこと。モナリザ効果。

絵が大きすぎたため(唇の長さが100p、鼻は85p、目は60p)、昔は使えるキャンバス布が見つからなかった。3枚組み合わせたが継ぎ目が目立って上手くいかなかったので、哈尔浜亚麻厂と天津地毯厂の協力を得て、大型のキャンパス布を作ってもらった。また、布の裏には雨や雪に弱いベニヤ板は合わず、アルミ合金板を張ることで、長期間傷まないようにした。今ではもっと改良が進み、強化プラスチックの板を使っている。

70〜80年代、この油絵に使われていた絵の具は天津美術顔料廠と上海美術顔料廠で生産された国産絵具だった。色が褪めるのを嫌った王国栋は“中国银珠”と呼ばれる高級顔料を使った。普通の顔料が一本3、4角だった当時、“中国银珠”は6角以上もして、当時では最も高価なものだった。
筆や用具は北京市制筆廠のものを使った。
額縁は中国らしい仕様にデザインされたもので、60年代から変わっていない。

天安門後方北西側に建つ建物内には肖像画を制作するために特別にしつらわれた作業場があるそうだ。広さは90u。高さは8m(三階分の高さ)。防火対策として周囲の壁を鉄板で張り巡らしてある。上部は半透明のガラスが敷いてあり、日光が差し込むようになっている。夏は暑くて冬は寒いという悪条件だったが、今ではエアコンがついている。絵をかくときに使っていた6mの梯子は手で動かしていたが、今では電動式を導入している。

描き終わるまで20日間かかると書いてあるサイトがあるが、あんな大きな絵がホントに20日で仕上がるのか、かささぎには分からない。それなら最初っから暑い夏や寒い冬を避けて制作すればいいじゃないの。ちなみに、絵を画くのは“主笔”一人だけじゃなくて、生徒や弟子などのアシスタントを使っているそうだ。

外した古い絵がどうなるかというと、作業場に運んで修理をするのだそうだ。ということは全部取ってあるんだろうか。その後の事が詳しく知りたかったのだけど、検索では分からなかった。
画像

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