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zoom RSS 我的結婚 郭沫若

<<   作成日時 : 2014/07/07 00:34   >>

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北京のお散歩って超楽しかった。故居や記念館もあるし。ただ、かささぎは無知だからその価値をちゃんとわかっていない。例えば郭沫若故居。四合院の建物の中に、当時のりんだおが会議を開いた部屋が保全されていたり、著書や研究文書や墨書が展示されていたりするのだけど、難しかった。すごい天才に違いないってことは伝わってくるが、とっかかりを見つけられずもやもやしたままだった。庭にいた子猫をいじって遊んできた思い出になってる。

昔は鲁迅先生と並ぶ中国を代表する文学者としてよく研究の対象になっていた人なんでしょう?文革で自己批判してから嫌われてるの?文革とか政治家とかって言われると読む気なくなるわぁ。
それに、奥さんがたくさんいたって聞いてるぞ。まさかの浮気性?女として許せないわぁ。詩集『女神』ってタイトル、ふざけてない?
…ってな具合でかささぎは偏見だらけ。

先日図書館でたまたま見つけてしまったのが《我的結婚》という本。“中華民國卅六年一月再版”だから1947年の再版本(ちなみに価格は“定價國幣5.00”、販売元は上海の書店)。古びた感じがとってもステキ。それで読んでみることにした。

でもがっかり。てっきり日本の奥さんである斉藤をとみさんとの結婚話だと思ったら全然違った。日本に留学する前の話で、親に押し付けられた結婚の顛末を書いたものだった。

1912年中華民国が成立した年、彼の人生に重大なことが起こる。それが故郷で“包办结婚”をさせられたことだった。この結婚の事を彼は“那真是一场痛苦,一场耻辱,一场悔恨”と表現している。

そんな辛い体験を何故わざわざ文章にしておこうと思ったかと言うと、“我自己似乎犯不出要在这已经愈合了的伤痕上再来插进一刀,但这也是那种过渡时代的一场社会的悲剧,这悲剧的主人公,严格的说时却不是我,我不过适逢其会成为了一位重要演员,我现在以演员的资格来追述出那场悲剧的经过吧”だからだそうだ。

19歳の夏、学校の夏休みで実家に帰っている時、母親にもういいかげん結婚しなさいって言われた。沫若はそれを笑いにすり替え、結婚話をうまくかわしたつもりでいた。
夏休みが過ぎ成都に戻る。成都には父方の従兄がいてそこで手紙を見せてもらい、自分が婚約したことを知る。相手は遠い親戚の叔母のいとこ。
仲人を買って出たその叔母の話によると、相手の女性(张琼华)は人柄がよく、学問があり、纏足をしていないとのこと。沫若も納得するだろうと思った母親は同意をとらないまま話を進めていた。
(母親が急いだ理由は、自分も年をとってきたので早く子供たちの婚姻をまとめてしまいたかったから。また社会的に不安定な時期であり、この当時、女の子を持つ親は自分の娘に何か起こってしまったり、婚約したものの結婚が引き伸ばしされてしまったりすることを心配する傾向があった)
春節休みに沫若は帰郷。結婚に同意。
結婚式は2日に渡って行われた。花轿から降りてきた花嫁の足を見て『啊,糟糕!』と心で叫ぶ。
何故ならその足は纏足されていたから。
儀式通りに洞房に入り酒を交わす。そして花嫁の顔にかかったベールを外そうとして、また『活啦,糟糕?』と心で絶叫。
何故ならそこに見えたのは『我只是看见那新娘的好不客气的一只露面的和猩猩一样的面孔!』だったから。
そこで四川の有名なことわざが脳裏に浮かぶ。『隔着口袋买猫儿,交定要白的,拿回家来才是K的!』沫若が運命の賭けに負けた瞬間だった。

この悲劇の始まりは、仲人だった叔母の話が違っていたこと。沫若の母が自分で直接会って確認をしておかなかったこと。なぜ叔母が嘘をついたのか沫若も母親も分からないのだそうだ。
(本当にそんなことあるんだろうか)

郭沫若はこの本で親の決めた結婚の辛さ苦しみを語っている。親を恨むまい、誰も恨むまい。運命を受け入れようとすることで自分を保つことができたと書いている。

でも、どこか呑気で他人事のようにとらえてるのではって思ってしまうのはかささぎだけだろうか。“役者”の立場で語りたいって最初に言ってるところもちょっと気になる。親同士の話し合いで決めてしまう結婚を中国語では“封建社会的牺牲品”と言うが、沫若が犠牲者だとすれば、彼女だって同じ犠牲者。興味が湧かないのもわかるが、せめてもうすこし相手を思いやる言葉が書いてあってもいいんじゃないだろうか。ちょっと冷たすぎはしないか。

それにお嫁さんを猫に例えたり猩々に例えたりあまりにも失礼じゃないか。中国語で“和猩猩一样”って、どブスって罵ってるも同然じゃない?

ただ、読み物として面白くなるように、彼なりの茶目っ気を見せているのかなあとも思う。また、自衛団の話や、“回门(結婚してすぐ里帰りすること)”のエピソードは当時の様子が垣間見えてよかった。結婚式の場面では花轿や夫妻交拜のエピソードから敢えて古代に思いを馳せてみたり、何故“洞房”というのか、この“洞”は何を意味するのかぐだぐだ書き入れてくる発想は、彼の学者っ気からくるのかもしれない。

その後、郭沫若はたった5日で学校に戻ってしまった。それどころかそのまま日本に留学してしまった。おいおいって突っ込みを入れたくなる。

かささぎが知りたいのはただ一つ。当時、彼女に対して「すまない」って思ったかどうかってことだけ。『櫻花書簡』を読んだら答えが載ってるだろうか。

百度によると、沫若が彼女に直接会って頭を下げてお詫びをしたのは、結婚してから27年後のことで、沫若が1939年に帰郷した際の事だったそうだ。ちなみに彼女は結婚してから68年間亡くなるまでずっと郭の家に暮らした。その家に入った女性は何はともあれその家で暮らすのが当時の流儀だったのだろう。

この本には当時の結婚観が書いてある。
長兄・開文のエピソード:
成都で仕事をしている開文の元へ兄嫁はすぐにも行きたかったのだけど、郭の父母の許しが貰えず一年経ってしまった。やっと会いに行ってみたら開文は李五太太という美人のお妾を囲っていた。びっくりさせようと内緒で行ったため、何も知らされていない開文は準備する暇もなかった。それで正妻とお妾が屋敷のどの部屋に住むかで喧嘩になった(そののち部屋はちゃんと決まった。いい部屋を確保したのは正妻である兄嫁だった)。日曜に沫若が遊びに行くと、いつも長兄はお妾の胡琴で吟唱していた。沫若が声をかけるとお妾の部屋から出てきて、兄嫁の部屋に案内する。見ると兄嫁はいつもベッドに横たわったまま(たぶん機嫌が悪いってことなんだろう)。それでも開文は平然と兄嫁を抱き寄せてキスして見せたのだそうだ。

理想とは異なるお嫁さんに落ち込んだ沫若を慰める母親の言葉:
『これから彼女はこの家の人間になるんだ、死ぬまでこの家から離れさせはしないよ。きつく縛ってる足はほどいてあげようじゃないか。容姿は期待したほどではないが、お前も男なら気にするんじゃない。お前の一番目の兄さんの嫁や、二番目の兄さんの嫁を見てごらん、みんな普通じゃないか?二人とも文句言ったことないよ。それに諸葛孔明の嫁は醜かったというじゃないか。見た目より性格が大事だよ。もし物覚えが良い娘なら私が礼節を仕込んであげよう。お前も詩や書道を教えてやったらどうだい?そうすれば見た目を補う魅力がでてくるってものだよ』
さらに母親は、それまで堅持していた一夫一婦制の考えを捨てて、『お前は男だろ、志を高く持ちなさい。好きな娘を選ぶ自由だってあるじゃないか』とも言った。

そういわれて沫若が思ったこと:
『母親の気持ちはありがたい。でも母親と自分では時代が違う。我々新時代の若者は妾を持つことを恥とするのだ。希望に必要なのは愛情だとは言わないが、愛情を得るためには少なくとも希望が必要だ。どんなに聡明で徳があったとしても猩々みたいな女性と一緒にはいられない』

ちなみに結婚を決心して思ったこと(お嫁さんの顔を見る前に思っていたこと):
『いづれ結婚することになるんだ、彼女は学問があると聞くが、田舎で育ったのだからきっと古い学問だろう。賢い娘ならそれを基礎にして新式の学問を学ぶこともできる。結婚したら親に頼んで彼女を成都に連れて行き勉強をさせてやろう。僕が教えてやってもいい。愛情あっての結婚でなくても、ゆっくり育んでいけばいいじゃないか』
(自分のそばにおいて勉強を見てやろうっていう考え方は、をとみさんを東京から岡山に連れて行ったときと同じ発想)

郭沫若の事が知りたいから、この本を読んでみたのだけど、やっぱりわからないことが多い。
でも面白い。正直に言うと、かささぎは郭沫若が結構好きになった。もっとぶっちゃけるとあの顔、昔から結構タイプでした。だから、ほかの本を読んで、もう少し勉強してみようと思っている。
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