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zoom RSS 日本軍占領期の北京の食料事情

<<   作成日時 : 2012/02/07 13:38   >>

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四世同堂に描かれる当時の北京の食糧難の様子。
第73章
「夏天 日本人一道命令,北平所有的面粉厂与米厂都停了工,大小的粮店都停止交易。存粮一律交出,新粮侯命领取。天津,石家庄,保定,却建立了极大的粮库,囤积起粮食,作长期战争的准备。孙七因在粮店做活,打听到更多的消息,:以后每家粮店都没有了自由交易,而改为向日本人领取杂粮,领到多少,便磨多少面粉,而后以一定的价钱,与规定的时间,凭粮证卖给住户们」
第75章
「粮证是只作一次用的,过期无效」
「不是米糠,也不是麸子…有的东西像玉米棒子…肥田用的豆饼渣滓…高粱壳儿…」
第76章
「日本人管它叫做共和面」
第80章
「领粮食的地方并不老在一处」

………
岩波書店が出版した「北京の日の丸」という本によると、
1942年1月1日に小麦粉配給制が始まる。
5月に米配給制度始まる。
1943年1月1日全穀物配給制度実施。
4月学校で「穀物増産運動」始まる。運動場などの開墾。
7月市民に「混合麺」を配給。
コレラ流行。
12月市民が飢えと寒さにさいなまれる。
1944年8月物価高騰。とうもろこし価格5年前に比べて65倍。
…などと書いてある。

戦争が長引くにつれて北京の街が食糧難になった。穀物は配給制に。
「北京の日の丸」の説明によると、
当時、穀物は民間の穀物商が仕入れたものを販売する仕組みだった。
占領後の「治安強化運動」により農村の抗日的農民への制圧が始まり農業生産が落ちた。また収穫されたものも軍糧として日本側に持って行かれた。
各抗日根拠地に対し軍事封鎖が行われていたため、北京の商人が地方に買い付けに行くことも、地方の農民が北京に売りに来るのも困難だった。
40年代に旱魃発生。
42年には穀物商が扱う穀物が無くなってしまい、穀物高騰が社会問題に。日本当局は今までの加工を禁じ、各種の雑穀を混合(ふすま、米ぬか、どんぐり等。一定の品質基準が無いため、個々の穀物商の在庫状況で品質に差があった)して販売するよう指示。
始まった頃はあわ、コーリャン、とうもろこし、豆などでまだ良かったのだが、そのうち砂が混じる、苦い、異臭がするなど質が落ちた。後期になると穀物成分が入らなくなり、代わりにとうもろこしの皮や芯、どんぐり、籾殻、糠、ほこりが混じるようになり、市民は下痢、便秘、腹痛を起こした。
在庫が無くなってしまった穀物商は休業するしかなく、営業店舗が減るにつれ店舗の前に列ができるようになり、並んでも買えないこともあった。いざこざが多発、警察が出動することもあった。
最終的に穀物商の倒産が続き、日本当局も打つ手がなくなり、統制ができなくなった。北京は空前の飢餓状態で多くの人が餓死した。統治下の末期はインフレと食糧難にあえいだ…。

………
「混合麺」=「共和麺」と考えていいらしい。混合麺を買うためには「粮证(要するに購買証)」が必要だった。戸籍に基づいて市民に発行してされていたもので、決まった量だけ購入できるようになっていた。

「四世同堂」に描かれている様子。
この粉はこねてもこねてもまとまらず、料理の上手かった瑞宣の奥さんでも手に余した。味は最悪で「まるでレンガを食べているようだ」と瑞宣のお爺さんが言っている。瑞宣の幼い娘はこれを受けつけることができず最後に死んでしまう話になっている。

衛生状態も悪かっただろうし、食糧難も関係したのだろうし、北京の街ではコレラが流行っていたという。小説のなかでは街で行き倒れた人をトラックで郊外に運び出している状況も描かれている。
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