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zoom RSS 中国 戦時中使われていた軍用手票(軍票)

<<   作成日時 : 2012/02/06 23:34   >>

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「四世同堂」の第22章。
「学校开了课,可是瑞宣并不高兴。各线的战事消息都不大好,北平的街上揄チ了腿短的男女,也开始见到日本的军用票。」

7月7日盧溝橋で軍事衝突が起こったあと、7月27日には日本居留民全員が公使館区域(要するに交民巷のあたり)に引きあげた(村上知行著:「北京十話」による)のだけど、祁瑞宣が先生をしていた中学校の授業が始まる頃には、北京の街には日本人が増えてきた、と書いてある。秋の新学期の頃には街もだいぶ落ち着いてきていたんだろうか。

そして、その頃から日本の軍用手票(軍票)が見られるようになったと書いてある。

軍票って?調べてみたら「戦争時において占領地もしくは勢力下にて軍隊が現地からの物資調達及びその他の支払いのために発行される擬似紙幣」なのだそうで、もちろん他所の国だって戦争のときに発行しているし、中国でも辛亥革命のときにすでに発行されている。

以下、盧溝橋事件以後に中国で使われた日本の軍票。
甲号券
1937年11月5日,柳川平助中将率いる第10軍が杭州上陸したとき用意していたのがこれ。日本内閣印刷局が印刷、大日本帝国政府大蔵省の名義で発行、縦型で、額面は10銭、50銭、1円、5円、10円の5種があり、発行額は日本円で300万円。主に浙江省沿海地区で使われた。
乙号券
1938年9月発行された日本銀行兌換券であるが、銀行名、印章、兌換を説明する文字が消され、その上から大日本軍用手票の文字を印刷しなおして発行された。横型で、額面は1円、5円、10円、100円の4種、発行額は日本円で約2000万円。このうち約三分の一が上海の虹口地区で流通した。.
丙号券
1938年に大日本政府軍用手票として大日本帝国政府大蔵省印刷局が製造した。横型で、額面は1円、5円、10円、100円の四種類、主に中国華南占領区において使用された。
丁号券
1939年6月に大日本帝国内閣印刷局が印刷。横型で、額面は1銭、5銭、10銭、50銭、1円、5円、10円の7種類ある。主に中国の華中占領区で使用された。
戊号券
1939年9月に大日本帝国内閣印刷局が印刷した大日本帝国政府券。横型で、額面は1銭、5銭、10銭、50銭、1円、5円、100円の7種類ある。華中占領区で使用することを決め、同時に甲号と乙号が回収された。

1944年になると応急的な措置として、原版を現地に持ち込み「現地刷」と呼ばれる丙号異式軍票を印刷した。
また太平洋戦争に突入してから、日本軍がマレーシア、シンガポール、ミャンマー、インドネシアなどで発行した軍票も中国に流入した。例えば、ミャンマー国境を越えてきた日本軍が雲南の徳宏・騰沖・龍陵地区に「大東亜低利銀行」を作り、ミャンマーで使っていた軍票を発行していたことがある。

小説と実際に流通した時期に多少ずれがあるような気もするが、軍票というものが中国で流通していたということは分かった。
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