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zoom RSS 「四世同堂」でわからなかったこと 昭和飴 友達10人

<<   作成日時 : 2012/02/27 02:46   >>

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小説「四世同堂」を読んでいて、気になったことが沢山あった。全部調べるのは大変なので、いくつか選んで検索してみた。

第25章では、新民会が北京の学生たちを動員して天安門前まで市街行進させた場面が描かれている。瑞宣は参加を拒絶するが、瑞豊は張り切って生徒を引き連れて参加する。
「台上的傀儡们下了台,不见了。带绸条的干事们拿着整篮子的昭和糖来分发,每个学生一块。多么高大的天安门啊,每人分得那么小的一块糖!…」(リボンを付けた係の人が籠いっぱいの昭和飴を1人1個配って歩いた。高く聳える天安門の前でちっこい飴ちゃんを1個ずつ…)

「昭和」という言葉がすごく重い意味で登場したのでびっくりした。それで「昭和飴」とはどんなものか、本当にそんなものがあったのか、しょっちゅう配られたものなのか、味は美味かったのか等知りたくなって検索した。でも結局なにも分からなかった。

ちなみにかささぎが若い頃中国で働いていて、出張土産に飴ちゃんを選んだことがあった。事務所だけでも50人いたから配りやすいものを選んだつもりだった。ところが、皆に「发喜糖(中国では結婚するとき飴を配る習慣がある)ですか」ってからかわれるやら、挙句の果てに「なんとまあ結婚したらしい」と噂まで出て、痛い失敗をしたことがある。

インコは昭和の雰囲気が好きな子供だったが、中学校に上がってから男子に「昭和くさい」と言われて以来、昭和という言葉が嫌いになった。今では「言う事が昭和くさい」ってかささぎに難癖をつけるようになった。

………
第29章では、
「大赤包…妓女检查所所长。这是从国都南迁以后,北平的妓馆日见冷落,而成为似有若无的一个小机关。现在,为慰劳日本军队,同时还得防范花柳病的传播,这个小机关又要复兴起来」と書いてある。

本当に「妓女検査所」ってあったのだろうかって検索してみた。そしたらあった。「北京晩報」の記事より。
「进入骡马市大街,路北有栋青砖小楼,这座小楼在解放前和解放后有着截然不同的职能,本文开头所写的青砖小楼——解放前是北平妓女检查所,解放后这栋小楼属宣武区防疫站」
(騾馬市大街の北側にある黒レンガの建物が解放前に北平妓女検査所だったところ。解放後は宣武区防疫所になった)
http://bjwb.bjd.com.cn/html/2011-11/06/content_14149.htm

………
第38章では、
「日本人不准任何商店报歇业,不管有没有生意…,更使天佑揪心的是,据说,不久日本人就要清查各铺户的货物,而由他们按照存货的多少,配给新货。他们给你多少是多少,他们给你什么你卖什么。他们也许只给你三匹布,而配上两打雨伞。你就须给买主儿一块布,一把或两把雨伞,不管人家需要雨伞与否!」
(商売にならなくても閉店させてもらえなかった。日本人が各商店の在庫状況を確認し、何をどれくらい売るのかは日本人が決めた。布地を売る祁天佑の店では商品の布を売るごとに必ず傘を抱き合わせて販売するように指示された)
第58章では、
「天佑接到了清查货物的通知。…又过了几天,他得到了日本人给他定的物价表。…又来了命令:每种布匹每次只许卖一丈,多卖一寸也得受罚。…日本人的身量矮,十尺布或者将就够作一件衣服的;中国人可并不都是矮子。…买一丈绸缎的,也要买一双皮鞋;买一丈布的也要买一个小玩艺儿;这是命令!」
(在庫確認の通知を受けた…何日か後には日本人が決めた価格表が届いた…一度に売る布の長さは一丈分までと決められ、一寸でも多く売ると罰せられるという…背の高い分、中国人はチビ助日本人と訳が違うのに…絹地を一丈売るごとに靴を一足、他の布一丈なら玩具と抱き合わせ販売をするよう命令が出た)
と書いてある。

当時商売をしていた者がどんな苦労をしていたのか知りたくなった。こちらのサイトにこんなことが沢山書いてある。

「商户的正常营业秩序遭到了严重破坏,在进货方面,日伪当局设置了诸多规定,层层盘剥,再加上全国已是一片战场,从外省进货既不安全,成本又高。就华北地区而言,各种政治势力犬牙交错,往往一家的货品要给几个“政府”交税,再加上各路土匪山贼的打劫,到了北京,羊毛也变成了金针」
(日本当局は規則を大量に打ち出した…店側は商品を税として“お上”に差し出すことがよくあった)
「比起商路遭到破坏,更为要命的是日本人和汉奸的骚扰与敲诈。…那时的买卖铺户每天开门就是提心吊胆,根本没心思做生意,老顾客减少了一半都多,在日伪时期能有很大消费能力的,不是日本人就是狗汉奸」
(一番困ったのは日本人や漢奸が商売の邪魔をしたり、ゆすってくることだった…この時代に羽振りのいいのは日本人か漢奸だった)
「那时绸缎庄里经常有日伪汉奸领来的日本客人。他们兴致勃勃地挑选丝绸布料去做日本和服,价钱方面基本都是他们说了算,为的就是让这帮活阎王快点走。这时往往日伪汉奸会把价钱压得很低,甚至不到进价的一半,给商户造成巨大损失。像瑞蚨祥绸缎庄,同仁堂中药店等大买卖,即使仗着本金厚名誉好,在这种乱世中也只是勉强维持。更不要说一些小本经营的店铺,有几次这样的亏本生意,就倾家荡产了」
(絹を買うのは漢奸につれられてくる日本人だった…早く出て行ってほしいから言われるままの値段で売ったが時に仕入れ値の半分以下にまで値切られた。大きい店はなんとか傾かなかったが、小さい店は破産した)
「北京鼎鼎大名的老字号“爆肚冯”…冯家店前的马路翻修,有一个日本监工常到店中来吃吃喝喝,从不给钱。老实的掌柜冯金河仍然奉行着和气生财的原则,尽量不与其争执」
(「爆肚馮」の店前の道路を工事しているとき、日本人の工事監督がやってきていつもただ飯を食ったが、争いを恐れる店側は我慢するのみだった)
http://article.daqi.com/js_fast/2723919.html

などという感じで、煮え湯を飲まされていた様子が良くわかった。
ただ、「四世同堂」に描かれている“搭卖(抱き合わせ販売)”が強制的に行われていたのか、結局分からなかった。
 
………
第46章では、日本からやってきた特使2人が襲撃にあった話が出てくる。
「日本天皇派来的两位特使。怀仁堂接见各机关科长以上的官吏,向大家宣布天皇的コ意…为给特使报仇,城内已捉去两千多人」
当時そんなことがあったのか気になったので検索した。

北京市内で日本人2名が襲撃に遭っていたのは本当だった(ただし、小説とではシチュエーションが違っていたけど)。1940年11月29日に起こった話。
2人とも軍人で、名前は高月保(背中に3発受けて即死)と乗兼悦郎(重傷)。事件の起こった場所は、南鑼鼓巷南口東皇城根胡同14号(地安門東大街89号)美国遠東宣教会門前。
この事件のことを日本語で検索しても出てこないので、あとでゆっくり中国語のサイトで勉強しようと思っている。
http://yzwb.sjzdaily.com.cn/html/2011-08/02/content_349105.htm
http://news.ifeng.com/history/phtv/dsy/detail_2010_05/26/1555953_0.shtml

………
第51章では、「铜门环没有了」
第57章では、「每家每月要献给二斤铁」「新民会的标语,有钱出钱,没钱出铁」
第73章では、「日本人除了教北平人按月献铜献铁之外,还到处去收买它们」
当時の北京で銅や鉄の供出が行われていたのか検索した。

こちらの年表によると、1942年10月1日から銅の強制供出が始まり、北平市からは100万斤出すよう決まっていたとある。
http://www.bjd.com.cn/WLZB/20050818/GB/WLZB%5E1482%5E12%5E18R1912.htm

「故宮文物南遷史料陳列館」のHPには故宮の铜缸(消火用に水を入れてあるあのでっかい銅の甕)や銅灯が日本軍によって強奪されたとある。
抗日战争的长期性、艰巨性,日本侵略者的野蛮残暴,证明当年故宫文物南迁是正确的选择。虽然故宫南迁文物得以保全,但日本侵略者仍然破坏与劫掠了相当多的中国珍贵文物。据有关研究,抗战时期中国文物损失至少在1000万件以上。在沦陷区的北平故宫,就有一批铜缸、铜灯亭被日军强行劫走。
http://quietvalley.cn/service.html

ほかにも、1940年2月に銅獲得のため銅貨を紙幣へ兌換するよう市民に促したり、1944年1月に故宮の銅器銅仏1000kgを華北日本軍に献納したり、同年2月に市が銅製品を強制徴収し20万kgを日本軍へ献納したという記録もある。(「北京の日の丸」より)

………
第91章では、「日本人颁布防空令,家家户户都得用K布把窗户蒙起来」「日本人得上防空洞里去呆着」とある。
小説の中では住民たちは黒い布が買えなかったので、新聞紙を黒く塗って窓に張っている。空襲警報が鳴っていた当時のことを検索してみた。

こちらには北京人の当時の証言が載っている。
「在放学路上,突然会响起“昂———”的防空警报,马路上所有人立刻都往防空壕跑,有穿旗袍的歌女迈不开脚步,只得提起旗袍下摆撒开腿往防空壕里钻」
(学校の帰り道、空襲警報のサイレンが突然鳴り出した。途端に街の人々は防空壕に向かって走り出した…)
http://news.sohu.com/20050711/n226258115.shtml

こちらの北京人の証言では。
「当时走在前门大街上,突然会听到刺耳的防空警报声。路上能看到日伪军满街奔跑,而行人则必须站在原地禁止随意走动,直到警报解除才能继续行进」
(丁度前門大街を歩いているときに空襲警報が鳴った。政府軍の兵が忙しく走り回っていた。通行人はその場に待機、警報が解除されるまで勝手に移動することが許されなかった)
http://news.163.com/05/0727/00/1PKJ91B60001124T.html

1937年7月28日南苑戦闘の際、南苑だけでなく西苑も空爆を受けているし、1945年2月6日には重慶駐留の米軍P-51型機が北平西郊飛行場付近を空爆しているし(「北京の日の丸」より)、北京市内ももうちょっとで危険な目に遭うところだったことが分かった。

………
第94章では、「意大利投降了,…北平的日本人奉命每人结交十个中国朋友」(イタリアの降伏後…親しい中国人を10人つくるよう北京在住の日本人に命令が出た)

これは、さすがに小説の中だけのお話みたい。検索しても出てこなかった。

画像

………
話が横道に入るが、北京人の証言を読んでいると、時々“丁字裤”を穿いている日本男児が出てくる。Tバックじゃなくてふんどしのことを指しているんだろうけど、とっても恥ずかしい。証言なんだから本当のことなんだろうなあ。
ふんどしは日本の文化だ、きりりと締めたふんどし姿じゃないと始まらないお祭りだっていくらでもあるじゃないか、って言われるとそれまでなのだが、胡同に暮らす日本人のユルユルふんどし姿が北京人に見られていたとなるといたたまれない気持ちになる。北京五輪のとき「上半身裸姿が見苦しい」と散々メディアで言っていたけど、本当はよそ様のこと言える立場じゃない。っていうか、当時はふんどしを穿いていた人がまだまだいたんだってこと、いまさら気づいた。今度はふんどしの歴史でも調べてみようかな。
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