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zoom RSS 日本軍占領期の北京における日本語教育

<<   作成日時 : 2012/02/08 22:38   >>

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「四世同堂」より。
第36章
由瑞丰的口中,他(瑞宣のこと)听到各学校将要有日本人来作秘书,监视全校的一切活动。他知道这是必然的事,而决定看看日本秘书将怎么样给学生的心灵上刑。
第38章
…“大哥,你们学校里的日本教官怎样?”他坐在个小凳上,酒气喷人的打了两个长而有力的嗝儿。
瑞宣看了弟弟一眼,没说什么。
瑞丰说下去:“大哥,你要晓得,教官,不管是教什么,都必然的是太上校长。人家挣的比校长还多,权力也自然比校长大。校长若是跟日本要人有来往呢,教官就客气点;不然的话,教官可就不好伺候了!
…“噢,大哥,”老二的脑子被酒精催动的不住的乱转,“听说下学期各校的英文都要裁去,就是不完全裁,也得拨出一大半的时间给日文。你是教英文的,得乘早儿打个主意呀!其实,你教什么都行,只要你和日本教官说得来!
…瑞宣想起学校中的教官——山木——来。那是个五十多岁的矮子,长方脸,花白头发,戴着度数很深的近视镜。山木教官是个动物学家,他的著作——华北的禽鸟——是相当有名的。他不象瑞丰所说的那种教官那样,除了教日语,他老在屋里读书或制标本,几乎不过问校务。
第57章
在学校里日本教官的势力扩大,他们不单管着学生,也管着校长与教员。
…………

今回知りたかったことは、当時の北京の中学校の様子。本当に日本人の先生が日本語を教えていたの?

検索していて出てきた中国語の資料:
http://wenku.baidu.com/view/442eea7fa26925c52cc5bf96.html
これによると、当時は愛国・抗日・孫文に関する記述が塗りつぶされた教科書を使用していた。中学だけでなく小学校でも日本語の授業があった。日本語教師の地位は高かった。
盧溝橋のあと暫くして北平地方維持会からの指示で小学課程に変更があった。
初期のころは北平市内の高級小学において日本語授業を毎週2時間行うというものだった。
1938年8月に教育部の指示で、北平市内小学3・4年生には周3時間の日本語授業が課せられた。
1939年の小学校課程をみると、国語(中国語のこと)・日本語・修身・算術・常識・歴史・地理・自然・音楽があった。
盧溝橋後の中学校の学習課程には、国文(中国語のこと)・日本語・英語・数学・物理・化学・公民・修身・歴史・地理・生物・体育・倫理・音楽・国術があった。日本語は毎週2時間であったが、1938年からは3時間になった。
1937年12月には北平地方維持会が日本語教員検定試験を行い54名採用している。
1942年には優秀な日本語教員に月5元のボーナスが出ている。

検索していて出てきた日本語の資料。内容は当時北京で教育を受けた人のインタビュー:
http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/0-kyouiku/research/kotoba/18/kawakami18.pdf#search='
1940年4年生に上がったときから日本語の授業を受けた。教科書は「日語課本」。日本人の先生だった。生徒たちはなかなか言うことを聞かなかった。
中学校に上がってからは英語の授業もあったので、日本語と英語の二つの外国語を学んだ。日本語の先生は中国人で、週に4、5回授業があった。まじめに勉強していたのは家族が日本と関係ある仕事をしている生徒だった。中学校にいた日本人は一人だけで、学校内の監督をする役割だった。
占領されるまでは学校の孫文の写真にお辞儀をする習慣があったが、占領後はそれが孔子になった。孔子に毎朝お辞儀した。

※中国語の資料のほうには、ほかにもいろいろ書かれている。1938年小学校就学年齢児童の入学率は44%だったとか、当時の教育局は中学校を男子校と女子校に分けたとか、小学校には6年制もあれば、简易小学という4年制もあったとか。
先生の給料についても記述あり。
当時の市立中学校校長の月給100〜200元。
市立中学教員の給料は時間で計算、高級中学校は1時間あたり7元、初級中学校は1時間あたり6元。
教会が経営する学校の校長は月給150〜200元以上。
私立中学校の教員は1時間あたり5角〜1元。
市立小学校の校長は月給60〜80元。
市立小学校教員の月給は30〜40元、新任教師なら20〜35元。
各種中学の職員の月給は15〜80元、各種小学校の職員の月給は10〜60元。

例えば「四世同堂」の瑞宣は「市立中学校で月18時間の英語の授業と、教会経営の学校で4時間の国語の授業を持っていた」のだから150元ぐらいも稼いでいたことになる。中学校で庶務主任をしていた頃の瑞豊は月収80元だったとしても、やっぱりお兄さんには頭が上がらなかったんだろう。
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コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
博主最近在看这方面的东西么
《四世同堂》书没看过,相关影视作品也没有看过。我以为学日语只有伪满洲呢。原来北京也有过啊。
其实对那段历史不是很清楚,知道的基本是以前看国内红色题材影视剧,和历史课上学的一些。
kyo
2012/02/09 11:08
kyo先生:东北和南京的历史很有名。北京的那段历史,我很少知道。那部小说里的用字用得很容易,对我这样水平的人也不用查词典,可是小说的背景很深,什么伪币呀,什么日本教官呀,我看不懂。我不知道什么叫真正的历史。往往说历史是属于胜者的嘛,有的历史是被埋没的,被遗弃的,或者不愿提的。我很喜欢老舍先生,这次我试试跟着它的内容理解理解它的意思。我没有什么坏的念头,也没有什么故意捣乱的意思。谢谢你的留言,如果有什么意见,我会洗耳恭听的。如果不愿看,也可以不理我。今天我有事,一段时间里我不能写博文,可是我准备还要继续写当时的情况。
かささぎ
2012/02/09 12:51
我对历史也是有兴趣的,不过,特别中国近代的历史人物资料看了太多版本,最初看的是共产党书写的,就是胜者写的,后来看了其他的版本,颠覆了原来的印象。比如原来觉得“很好,有意思的人”其实是“恶人”,慢慢地,看这些历史的东西,我总会变得异常质疑。
我是想要了解真实的历史,现在觉得历史只能当故事看。任何书上的内容都不可能和实际相符。
就是现在正在发生的事情,也都无法真实的了解到啊。
kyo
2012/02/14 14:47
这个小说中说的伪币应该是指当时日本在占领区发行的纸币。
日本教官如果是学校那种,就是派来监视学校的日本人吧
如果在中国共产党中的日本教官,那就是教共产党技术的日本人。主要是1945年以后,前期这类人少,那时候应该也不是称教官。

kyo
2012/02/14 15:01
kyo先生:谢谢你的留言。北京通用过的伪币应该是联银券,是不是?你说的日本教官(给共产党教技术的),是不是「人间正道是沧桑」里描述的日本技术兵?他们是战后留在中国做俘虏的。剧里的孙红雷可重视日本的技术兵呢。
对于历史,我也觉得当做故事看为好。这段时间我搜了些我想要知道的文章,没想到文章并不多,包括中方。这就是“被历史埋没”的现象?我不懂。查到的文章,中方和日方的口气不一样,这没什么,我觉得战争的资料,就如此的。反倒觉得更有意思,因为我知道其中的含意太丰富了。总之我越看资料越觉得老舍先生写的四世同堂特别重要。
かささぎ
2012/02/15 15:08

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