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zoom RSS 中国 劉翔の“風波” 試合を冷静に見るために

<<   作成日時 : 2011/10/21 15:32   >>

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8月末にテレビで世界陸上・男子ハードル決勝の試合を見たとき、思わず応援に力が入った。
だけど、あの結果を見て、これは大変なことになったと思った。きっと大騒ぎになる、ネットでも喧々諤々になるって思った。

翌日の新京報の記事。大体こんなことが書いてあった。

「…英語のgameという意味は、中国語の「比赛・試合する、競技する」と「游戏・遊戯、遊ぶ、娯楽」の二つの意味がある。“让体育回归本质(スポーツを本質に戻そう)”の声があがって久しいが、いろいろなケースを見ている限り、多くの人がいまだに「比赛视为游戏(試合をゲームとして観る)」ことができていない。

これは時代背景と関係している。スポーツの試合を精神高揚剤としている人が少なくない。金メダルの獲得を民族奮起や国家強大の象徴にしていた。だから中国人はスポーツに対して過剰な関心を抱いてしまう。

それから、もうひとつ。スポーツの周りに層になってまとわりついてくるもののことだ。中国のスポーツはちまきに似たところがあって、中身はただの米なのに、葉に包んだだけで別物になってしまう。外側の葉っぱのせいで、中身であるスポーツの本質が見えなくなってしまう。「金メダル至上主義」は間違いなく後からまとわりついてきたものだ。

われわれのスポーツ競技では「成績唯一論」を掲げているため、多くの人々の潜在意識のなかにもこの考えがしみついている。彼らは勝利者を賞賛し、敗者には残念だと言うが、スポーツ競技の本質を見極めていない。

辛酸を嘗め尽くした劉翔だから超越した境地を良く分かっている。だが多くの人はまだ抜け出せていない。まとわりついているいろんなものを引き剥がしたとき、初めてスポーツの素晴らしさに気づくことができる。」
http://epaper.bjnews.com.cn/html/2011-08/30/content_269829.htm?div=-1

こういう文章を見せつけられては、熱くなった頭も冷えると言うもの。
かささぎはスポーツを極めたことがないので、劉翔氏がどんな思いで怪我やプレッシャーを跳ね除けてきたのか想像もつかないが、あの試合後の冷静さは、明らかに只者ではなかった。あんな展開になったのだから抗議をする(中国語では「提出申诉」と言う。冷静な感じがいい)のは当然だし、ちゃんと認めてもらって良かったと思うが、当人は笑って“这就是一场游戏(ゲームですから)”と言っていた。まことに天晴れな人物だと思う。

それにしても、ハードルを離して置くわけには行かないのだろうか。学生がテストを受けるときみたいに、人と人の間に空間があれば、面倒な問題はおこらないはず。素人発言。

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