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zoom RSS 北京 テレビ番組「紅色地図」6 八宝山革命公墓と太監廟

<<   作成日時 : 2011/08/19 00:23   >>

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北京テレビの特集「紅色地図」の続き。

7月17日放送。
宋庆龄故居。場所は、后海の北岸。
王府に手直しをしたこの建物は、1961年に周総理の考えで用意された。宋慶齢が住んだのは1963〜81年の18年間。
2009年に文物庫が公開され、孫文が彼女に結婚プレゼントとして贈ったドイツ製のピストルなど、多くの資料を見ることができる。

7月18日放送。
宋庆龄故居の続き。
手紙の内容の紹介など。

7月19日放送。
蔡元培故居。場所は、东堂子胡同。
蔡は北京のあちこちに家を借りて住んだのだそう。ここにいたのは1916〜23年、北京大学・紅楼で働いていた時期で、五四運動が起こった時代。
この四合院全部を借りていたのではなく、西北側の二部屋を借りていたのだそうだ。

7月20日放送。
蔡元培故居の続き。ここに住んだのは蔡元培だけで、当時家族は別の場所に住んでいた。
昔はここから紅楼の屋根が見えた。
映画《建党伟业》の紹介。

7月21日放送。
茅盾故居。場所は、后圆恩寺胡同。
茅盾がここに住んだのは1974〜81年。
晩年は健康にすぐれず書斎まで行けなかったので、寝室のベッドのすぐ横の机で仕事をしていたそうだ。
遺作となった自伝「我走过的道路」の説明。
茅盾は若いとき党の联络员をやっていたんだって。
党籍を戻してほしいと頼む手紙が残っているそう。
映画《林家铺子》の紹介。

7月22日放送。
八宝山革命公墓。場所は、石景山路。
ここは明の時代に护国寺が置かれた。明・清の時代は太监庙として老いた宦官が住む場所だった。
新中国ができて間もなく、周恩来が犠牲者の墓地を作るための土地探しを命じ、白羽の矢が立ったのがこの地だった。八宝山护国寺。
八宝山革命公墓は墓地と骨灰堂のエリアに分かれている。
もっとも早い時期に作られたのは18名の烈士を祀った「王荷波等烈士之墓」。

7月23日。
八宝山革命公墓の続き。
ここのお墓は故人が生存していた時の階級順に埋葬しているということは無いそう。
「红军骨灰墙」の紹介。

7月24日。
中山公園の惠芳园 “兰室”。
額の字は朱コ。
朱徳は雲南にいた頃からランを好み、自分でも育てた。
文革のとき、ランも攻撃の対象にされたが、朱徳の集めた珍しい品種のランはここに集められて育てられた。

7月25日。
桃棚村の冀东西部地分委旧址。場所は、京东大峡谷のあたり。平谷区山东庄镇辖村。
1938年八路軍がこのあたりを抗日根据地にした。
1940年平谷地区において最初の農村中央党支部がこの村の山の红崖洞に置かれた。
百团大战の話。この地における中国側兵士155人の戦死、一般人1287人の犠牲、日本側兵士200名余りの戦死等、詳しいことは番組で。

7月26日。
北京人民艺术剧院。王府井大街22号。
1952年にできた。

7月27日。
同仁堂乐家老宅。地下金庫の話。場所は、东城区西打磨厂街46号。
同仁堂は楽という姓の一族によって経営されていた。同族が新規に店を出す場合、同じ名前を名乗ることは許されず、永仁堂という名前で薬屋が東安市場で経営された。当時その店の主だった乐元可とその奥さんが地下活動の金庫番だったと言う話。
刘致祥の書いた「金庫主任」という小説の紹介。

7月28日。
表の顔が明华斋という骨董屋だった秘密の联络点の話。
場所は、新街口南大街の東側、百花深处(胡同)。
盧溝橋事件のあと、共産党の机关や领导は北平の町を離れ、もっと西側にある山の中に移動した。
太行山の山奥と北平とで連絡を取り合うため、平西・平北には秘密情报联络站や交通站が作られたが、ここもその一つ。ここの老板は黄华という人。延安にいたが盧溝橋のあと北平にやってきた。当時日本側は薬が根拠地に流れるのを禁止している状態だったが、1939年カナダ医師べチューンが冀中军区に入り、薬品不足を指摘したため、黄が薬の調達の仕事を担当することになった。1943年に無線局の存在から身分がばれて、危うくつかまりそうになったが屋根を越えて逃げたのだという。フランス大使館の医官・贝熙业(Docteur Bussière)と関係があったので、贝家花园で仕事を続け、後にまた北平に戻り地下工作を続けた。

7月29日。
龙须沟。場所は、东城区金鱼池小区。
昔からここの腐った川はどうしようもなく、ゴミと悪臭がひどく貧しい人が住む場所だった。“核桃砖”と呼ばれるレンガで作られた粗末な家は雨漏りがひどかった。
新中国になってから延べ3回にわたりこの地で大規模工事が行われた。当時は上下水道や電気の工事(龙须沟のドラマにも出てくる)、最近ではマンションが整備され、今では当時の面影は無い。
昔この地に住む子どものお腹が異様に膨れていたそう。不潔な水を飲用していたからではないか、とのこと。
映画《龙须沟》の紹介。

7月30日。
龙须沟の続き。
金鱼池小区の様子の紹介。
小妞子の銅像。

7月31日。
十三陵水库。場所は昌平区。
風で砂が飛ぶ荒れた川底をさらす东沙河、大雨のときには下流で水害を引き起こすため、ダム建設をすることが1958年に決まった。北京市民だけでなく全国からダム建設に参加する人々が集まった。建設機械の揃わなかった時代、建設に加わったのが40万人だったという大プロジェクト。天秤棒で40kgの土砂を担ぎ、一日30往復したという根性物語。
ダムの傍に立つ記念碑は、4面それぞれに毛沢東、周恩来、朱徳、劉少奇の字が刻まれているという、ほかでは見られない珍しいものだそうだ。
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