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zoom RSS 北京 テレビ番組「紅色地図」5 国家広電総局491台(無線局)

<<   作成日時 : 2011/07/27 06:30   >>

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北京テレビの朝のニュース番組「北京您早」の中のコーナー「紅色地図」の続き。
割と理解しやすい話もあれば、とても難しい話もある。
もし聞き間違いがあったらごめんなさい。
詳しく見たい方はこちらで。
http://space.btv.com.cn/schedule/SCHE1256282420791602

7月2日放送。
天安门城楼と广场における1949年開国大典にまつわる話。
大変な時期が続いていたから、紫禁城も当然荒れ放題になっていて、要人がずらっと並ぶあの城楼もゴミやら鳥の糞や羽やらでとっても汚れていたのだそう。城楼周辺の草をむしったら車2台分にもなったのだそう。
あの立派な大提灯は高さ約2m、重さ80kgだって。
広場にある今の国旗掲揚用の旗柱台は立派なものだが、当時慌てて作った旗柱はサイズの違う4種の水道管をつないで作ったものだった。ちなみに国家博物館の中庭に移設され今も残っている。
映画《天安门》の映像あり。

7月3日放送。
天安门城楼と广场の話の続き。新中国成立当時の天安門は今ほど広くなくて9ヘクタールしかなかった。(今の広さの5分の1)

7月4日放送。
红色电波传输发射的源头,491台。
国家广电总局491台の話。場所は、朝阳区双桥路。
491と名づけられた無線局の話。1949年の第一四半期に誕生したから491台。ここの電波はヨーロッパやオーストラリアまで届くという。
1918年、北洋政府(※北京政府が“北洋政府”と呼ばれる期間は1912〜28年)の海軍部が当時日本の三井銀行から融資を受けてこの地に無線局を建てた。どういう契約だったのか当時の新聞にも取り上げられているという。機械設備の導入のほか立派な建物も建てた。この建物はドイツ様式なのだそうで、なんでドイツなのかというと、当時の日本は先進的なヨーロッパの影響を受けていたからなんだって。
1923年、やっと正式に稼動した。海軍の無線局とはいっても実際は日本の管理下にあったという。1938年に軍用から民用に変わったが日本寄りの放送が続いた。
1945年9月中旬、南京から国民党の人員が飛行機で派遣されてきたが霧が濃くて鉄塔に接触し墜落してしまったことがある。でも10月にはちゃんと放送が開始された。

7月5日放送。
国家广电总局491台の続き。
天安門で毛主席が発した建国宣言を世界に伝えたのが491台の電波だった。
画面には、日本から導入された昔の送信機の映像が出てくる。

7月6日。
香山双清别墅。場所は、香山の香山寺遗址の隣。
昔、乾隆帝がここに2つの泉を見つけてからこの場所を双清と呼ぶようになった。
1949年、北京にやってきた毛沢東は子どもたちとここに暮らした。ここの建物と亭ははずせない撮影ポイント。
なぜ街の中心部の中南海にすぐ入らなかったかというと、中国人民解放軍四野戦軍が駐留していたから。
新中国ができる前の半年間、香山には中央機関がさまざま置かれていた。例えば编辑局が玉华山庄に、中宣部が小白楼に、新华社が香山饭店にあった。当時この場所は人の出入りも制限された秘密の場所であり、便宜上、対外的には「劳动大学」とされていた。

7月9日。
(動画が出てこなかった。10日の話の流れからたぶん)人民英雄纪念碑。場所は、天安門広場。

7月10日。
人民英雄纪念碑の続き。
人民をモチーフにした立派なレリーフはフランスからわざわざ人材を呼び寄せて作った。テーマを地道战にするか游击战にするか迷ったという。

7月11日。
汇文中学。場所は、东城区崇文门。
彭雪枫という有名な将軍の功績について。在学時代に党支部を作った。

7月12日。
彭雪枫将军の話の続き。汇文中学はとても立派な学校で、校史館がある。娄山关战役(長征後最初に勝利を収めたターニングポイントともいえる戦い。国民党中央军吴奇伟率いる五十九师と戦った)の話。

7月13日。
卢沟桥の中国人民抗日战争纪念馆。
1987年7月7日にオープンしたのだそうだ。国家一級文物の電報の原稿(抗日当時の)もある。
テレビでは平型关战役(1937年日本軍と八路军第115师が戦った)の復元模型や、地道战の復元模型が紹介されている。

7月14日。
昌延联合县政府旧址。場所は、延庆县大庄科乡霹破石村。
1940年联合县政府が成立。ここは平北地区において重要な抗日根拠地だった。
日偽軍に囲まれ戦死した党員の話。その後どうなったかは恐ろしくてここには書けない。

7月15日。
田庄村京西山区中共第一个党支部纪念馆。場所は、妙峰山の西側。门头沟区田庄村。
崔显芳という人の話。村に学校を作って革命骨干を養成した。
药铺を隠れ蓑にして地下党と連絡をとった。

7月16日。
崔显芳という人の話の続き。
沿河武装游击队を作った話や亡くなったときの話。
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