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<<   作成日時 : 2011/05/05 00:21   >>

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「大学士」とは。官職の名称。初めてこの官職名が使われるようになったのは唐の時代。
明になると、洪武帝は権力を独裁するために宰相を廃止した。ところが実際は仕事が忙しくて大変になってしまい、皇帝の仕事の補佐をする秘書官を設けた。それが殿閣大学士。
永楽帝の代になると、翰林院等から直接人選してきて殿閣大学士として「文淵閣(文渊阁)」に配置し、機密にかかわる重要な仕事を任せるようになった。そのころより大学士は徐々に権力を持つようになり、結局明代中期には宰相のように実権を握るまでになった。

「内閣」とは。「文淵閣」に殿閣大学士を置いて内閣と呼んだのが始まり。最高政治機関。清朝になり軍機処ができてからは力を失った。

「殿閣大学士」とは。明朝には殿閣大学士がいた。「四殿両閣(4つの殿と二つの閣)」それぞれに、「中和殿大学士」「保和殿大学士」「文华殿大学士」「武英殿大学士」「文渊阁大学士」「东阁大学士」と呼ばれる。
(ということは、殿閣大学士はそれぞれの名の付く建物でお仕事をしていたということ?「東閣」ってどこにある?)
清朝乾隆帝の時には「中和殿大学士」が「体仁阁大学士」と名称を変えて、「三殿三閣」になった。また新たに「协办大学士」が加えられた。

………
内閣の語源になった文淵閣(文渊阁)という建物。蔵書をしまっておく殿閣。皇帝の図書館。四庫全書も収められていた(今は台北故宮博物館へ)。
場所は故宮の南東側。午門をくぐったら金水橋を渡らず、右側の協和門を出てちょっと進むとある。公開されていないので近づけない。(写真では一番奥)
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文淵閣のすぐ前にあるのが、文華殿(文华殿)。ここは殿試の試験官の宿泊所になったり、“経筵”という講義を行ったり、康熙帝の皇太子の勉強場所だったりした。今は「陶瓷馆」として陶器が展示されている。無料ですばらしい展示を見ることができる。
http://www.dpm.org.cn/www_oldweb/China/c/c3/C3a/2956.html
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文華殿のすぐ南側。内閣大堂(別名:大学士堂)。軍機処に取って代わられるまでは皇帝の仕事を支える中央機関であり、大学士が詰めていたところ。ここは公開されていない。学会の看板の奥に「为人民服务」の文字。
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